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2013.03/03(Sun)

オルハン・スヨルジュさんの死去に哀悼の意を表しに、串本へ行ってきた

主_冬服_悩一昨日の夜遅くですが、こんなニュースがありました。
この記事については全文引用します。


<トルコ航空>日本人救出の元機長が死去、87歳
毎日新聞 3月1日(金)22時51分配信

 イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュさん(87)が先月24日、イスタンブールで死去した。トルコと親交のある和歌山県が1日、発表した。在イスタンブール日本総領事館によると、病死とみられる。

 イラクがテヘラン空爆を開始した際、日本の航空機が就航しておらず、脱出のために空港に押し寄せた在留日本人が孤立。トルコ政府が救出のため特別機2機を派遣した。スヨルジュさんはこのうち1機の機長。その功績で06年、旭日小綬章を受章した。【岸本桂司】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130301-00000123-mai-m_est


由良_冬服_哀和歌山県から発表されたというのがポイントだね。
スヨルジュ元機長やトルコ共和国政府が日本人救援を敢行してくれたのは、1890年に紀伊大島沖で発生したエルトゥールル号遭難事故での、地元民の救助活動が縁になっているの。
でね、私達日本人の恩人とも言えるスヨルジュ元機長の死去に際して、私達も哀悼の意を表したいけど…


美里_冬服_悩だったら、串本のトルコ記念館へ行ってみようじゃないか?
そしてエルトゥールル号遭難慰霊碑にお参りしようぜ。


由良_冬服_苦笑うん、せっかく近くにトルコゆかりの場所があるんだから、そこへ行くのが和歌山県民として相応しいと思う。
トルコ共和国大使館へ行くのも遠すぎて大変だし。


主_冬服_ギャグ猫と言うか、大使館へ行ったところでどうするの? という話ですが。
記帳所なんてあるのかね?



そんな訳で、一行は串本へ車を走らせたのでした。

P1130809.jpg 途中、潮岬展望タワーへ寄って
P1130813.jpg 本州最南端訪問証明書をいただいたり、
P1130834.jpg 本州最南端の碑を見たりして、
P1130856.jpg 紀伊大島へ渡り、トルコ記念館に到着。

トルコ軍艦遭難慰霊碑/トルコ記念館@串本町観光協会
http://www.kankou-kushimoto.jp/txt001.html

主_冬服_ギャグ泣き正午前に自宅を出て、食事やら観光やらをしてたから、到着したのは午後4時ですよ。正味の運転時間は3時間弱かしら。
ホントに串本は遠いわ…(´・ω・`)


由良_冬服_楽トルコ記念館では、沈没したエルトゥールル号の遺品や、遭難事故対応、その後のトルコ・日本両国の交流を示す資料などが展示されています。


P1130859.jpg トルコ記念館屋上から眺めた遭難現場。案外岸に近い。
由良_冬服_哀受付の方からもいろいろとお話を伺ったのですが、事故当時は台風に伴う酷い暴風雨に見舞われて、エルトゥールル号の乗員が消耗しきっていて岩礁を避けるどころではなかっただろうとのことでした。その際にイランの日本人救援にも話が及んだんで、こちらの来意を伝えておきました。


美里_冬服_悩トルコから日本までやって来るのに11ヶ月を要したっていうんだから、国の威信をかけた航海だったんだな。


エルトゥールル号遭難事件@Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

P1130861.jpg エルトゥールル号殉難将士慰霊碑
P1130863.jpg 追悼歌まである。
主_冬服_悩トルコ記念館から樫野崎灯台へ向けて歩いて行くと、途中にエルトゥールル号殉難将士慰霊碑があります。


美里_冬服_哀それでは、
エルトゥールル号殉難将士とオルハン・スヨルジュ元機長に哀悼の意を表し、トルコ共和国と日本国の交流が今後も続くことを祈念するために、
総員黙祷!


由良_冬服_考……



 余談として、イラン・イラク戦争の最中の1985年3月、テヘラン空港から在イラン日本人を救出したのがトルコ航空機だったのは前述したとおりですが、それでは何故日本の航空会社が救援に向かわなかったのか? と疑問も湧きますよね? と言うか、当時は日本の航空会社で国際線は日本航空の独占だったのですけど。
だから、危険を顧みず日本人救出に邁進してくれたトルコに感謝! それに比べて同胞を見捨てたJALは云々… という意見がネット界隈では定説となってるようです。一例として、

イランからの邦人救出を拒否したJALだもの・・・ @魍魎退散!
http://hachikun11.iza.ne.jp/blog/entry/1389007/

 ちなみに1985年3月時点は就航していなかったものの、日航はそれより以前にテヘランに寄港する路線を持っていました。ですから離着陸経験のある人材もいて、救援が物理的に不可能だったわけじゃない。それなのにどうして? と。
 で、一方的に日航を叩くのはどうよ? と、当時の新聞記事から論評したのがこちら。

<イラン・イラク戦争>テヘラン残留邦人脱出の真相を考える@旅するデジカメ~札幌発東京定住日記
http://tabidigi.at.webry.info/201102/article_3.html

 言わんとしてるのとは解りますが、自分から見れば日本国外務本省も日航本社も指示待ち状態でどっちもどっち、という感じ。日航も国際線独占の利益を得ていたんだったら、邦人輸送にもっと危機感を挙げて取り組む必要があったと思います。連絡がないのだったらそれこそ外務本省のケツを叩くことぐらいすべきで、自分は日航を免責する気にはなれないです。

 で、日航も邦人救出の準備をしていたようですけど、救援機の操縦に名乗りを上げていたのが、高濱雅己機長(当時)だったというのは、このBlogサイトを見て初めて知りました。

トルコの心 そして エルトゥールル @wasa@11ukのページ
http://minkara.carview.co.jp/userid/757405/blog/24514437/

 会社組織はともかくとして、現場では強い志を持つパイロットが居たことを、私達は記憶に留めておくべきでしょう。
 テヘラン危機から5ヶ月後、高濱機長は羽田発伊丹行のB747機を操縦中に墜落事故に遭い、殉職されました。

日本航空123便墜落事故@Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85




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